入れ歯
中原街道について
徳川家康が初めて江戸に入った天正18(1590)年、まだ東海道は整備されておらず、
家康は平塚からほぼ直線で江戸に向かうこの道を利用した。
2代将軍・秀忠が、中原御殿(平塚)と同じように小杉に御殿を建てたのは、慶長13(1608年)である。
家康、秀忠、家光の三代にわたる将軍が鷹狩りなどの際、ここ小杉御殿で休息したり西国の諸大名が
江戸への往復のために利用したという。
やがて東海道が整備され、大名行列などの多くが利用するようになると、小杉御殿の存在意義が薄れ、
建物は全て移築されてしまった。
(出典 http://shinkosugi.jp/history/dataroom/data01_01_001.html)
一戸歯科医院は、中原街道沿い、丸子橋から横浜方面に約1Kmの所にあります。
何年か前に市の道路整備で当院の前の道(中原街道です)は広くなりましたが、
昭和30年代頃は舗装もされておらず、私の夫などは道路で遊んでいてオート三輪にはねられたこともあったそうです。お向かいの銭湯には裸のまま中原街道を渡って通っていたんだとか。
ここ数年の武蔵小杉地区の再開発による発展には、目を見張るものがあります。
高層ビルには若い世代がどんどん移り住み、商業施設には最先端の人気ショップがたくさん入っています。
私もうきうきとウインドーショッピングに行き楽しんでいますが、その喧噪から、徒歩15分、歴史とレトロ感漂う陣屋町一帯に帰ってくると、こっちもまた、いいな、と感じます。
お正月には親戚が集う機会があるでしょう、昔の話など、今のうちに聴いておかれることをおすすめします。
普段は前を向いて生きていますが、たまには、歴史を振り返ることも必要。
年の初めはそんな気持ちになります。
さて、現存する 日本で一番古い入れ歯は、木の入れ歯です。室町時代末期のものです。
当時は 蜜蝋で型を採り、柘植(つげ),梅、杏などの木材を
彫刻して作りました。480年前ですが顎に吸い付く入れ歯を作る技術がありました。
しかし、その時代、入れ歯を入れることができたのは、地位や経済力のある、一握りのひとだけだったでしょう。
江戸時代になると、入れ歯師と言われる人たちが登場し、庶民を対象に、抜歯、歯周病の治療、入れ歯制作をするようになりました。
一方 フランスでは、陶材を使い、入れ歯を作っていました。セラミックですから焼き上げる時に変形して顎に合わないため、食事の時には外していたそうです。合わない入れ歯は吸い付きがありませんから、すぐにはずれてしまうため、スプリング式で、入れ歯をはねあげて落ちないようにしていました。噛むためではなく、舞踏会で踊る時、つまり人前で口元を整えるために、入れ歯を使っていたのです。
1865年〜1900年くらいまでの間、横浜の居留地で治療をしていた外国人医師から、ゴム床を使った西洋入れ歯が伝わりました。このゴム床入れ歯が人気となり、日本の伝統的な木の入れ歯は西洋義歯にとってかわりました。(一般社団法人 神奈川県歯科医師会 歯の博物館より)
今も昔も、西も東も、人々の入れ歯に関する悩みは尽きません。
入れ歯を新丸子、一戸歯科医院で一緒に作りましょう。
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